昭和36年制定(1961年)
修学旅行に行った子どたちがバスの中でガイドさんに「校歌をうたって下さい。1・2・3。」といわれたが声が出ない。まだ、校歌がなかったのだ。
この出来事をきっかけに、当時のPTA会長が市長や議長、地域の有識者に働きかけ、校歌の作詞、作曲を山口平八先生と松本文男先生に依頼することになった。
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山口平八
深谷市の人で壮年時代、早稲田大学図書館長を勤め、その後は郷土埼玉の文化史、文学、渋沢栄一研究などにパイオニア的な役割を果たして来た。
「深谷町誌」「深谷市史」「行田市史」などの編纂、執筆に関わっている。
行田市内で山口氏の作詞による校歌は、西小の他に東小と北河原小がある。
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松本文男
陸軍外山学校軍楽隊の出身で戦後東京交響楽団を経てジャズ界に入り、一流ジャズバンドの花形トランペット奏者として活躍、日本のハリージェームスと言われた。その後、昭和30年12月、バンドリーダーとして松本文男&ミュージックメーカーズを結成。以来38年間日本一流ジャズオーケストラとして、テレビ、ラジオ、レコード界等に活躍してきた。
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1番の歌詞の意味
梅の香りのするころになると、星川の岸辺にある柳の芽がふくらみ、 あたりにはゆったりと春の光がゆらめくようになる。そして、やがてさわやかな若葉の夏がおとずれるであろう。さあ、みんな腕を伸ばし、胸をはり、深呼吸をしよう。少年の時代に大いに身体をきたえよう。そして、母校の名を一緒に歌おうではないか。
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2番の歌詞の意味
陸奥のおとの様が馬をとめて休んだ松。この松の枝のすきまからは、秋の月の姿が見えるようになる。読書の秋、学業の秋のころになると、風はさあっと流れる。その窓の所で心を澄まし、気持ちを静めて、一生懸命に学ぼう。勉強しよう。そして、母校の名を一緒に讃えようではないか。
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3番の歌詞の意味
枯れた蓮の花に雪がつき、日の光を受けて輝いている。木枯らしが吹き荒れ、この寒い冬の日の夜は、炉の周りで、親、兄弟姉妹、祖父祖母が集まって楽しい話し合いが始まる。この親たちのめぐみやいつくしみ、そして、愛情は何に例えたらよいのだろうか。例えようのないすばらしいことだ。そうだ、ぼくたちわたしたちは、輝ける未来があるんだ。大きな希望があるのだ。さあ、母校の名を一緒に奏でようではないか。
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かいな(古語)
腕。肩からひじまでの部分。二のうで。また、肩から手首までの全体。
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陸奥のおとど
「陸奥(むつ)」は現在の青森県、岩手県。「おとど」はとの様のこと。
歌詞の意味を作成した元PTA副会長広井氏は、陸奥のおとどを「藤原秀衡」としている。
藤原秀衡(ふじわらのひでひら)
平安後期の陸奥の豪族。平氏滅亡後、源義経をかくまい頼朝に対抗した。
秀衡と行田にかかわる逸話があり、忍の郷、遍照院(行田市駒形)の前で牛輿の牛が死に、秀衡はこの寺に薬師尊像を祀っている。また、牛を埋めた場所に若松を植え、この時の松が「秀衡松」として今に伝えられている。
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松
『忍名所図絵』には、「秀衡松」のことを「秀衡此を過ぎて道の辺の松の根に憩ふ。愛玩去る能はず乃ち樹辺に於て一寺を建立し安ずるに其の所懐せる護身の薬師像を以てす」と書かれている。
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駒
小さい馬。乗馬。
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月
「月」は、秋の季語
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颯々(さつさつ)
風がさっと吹く様子。さあっと。
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いそしむ
つとめる。はげむ。
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芙蓉(ふよう)
@アオイ科の落葉低木。葵(アオイ)は、徳川家の紋所。西小の校章は、この葵でかたどられている。
Aハスの花の別称。以前は、西小の近くにも「蓮田」が多くあり、その花が枯れて、冬の田の中に残っている姿が見られた。
B富士山を風流に呼ぶときの名称。芙蓉の雪は、富士山にかかる雪のこと。
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同胞(はらから)
母を同じくする兄弟姉妹。西小を母校として、生徒を兄弟姉妹と例えたものか。
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すさむ
状態がはなはだしくなること。
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団欒(だんらん)
集まってなごやかに楽しむこと。
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恩愛(おんない)
親子・夫婦などの間の愛情。愛情や恩にひかれるきずな。
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